第1回では、祖父の工具箱から始まったものづくりの原点と、木という素材との出会いについて伺いました。
第2回では、実際にどのように木から山が生まれていくのかを掘り下げます。木目や節を読み、その瞬間の感覚に委ねながら手を動かす井出さん。その制作について話を聞く中で、何度も登場したのが「記述する」という言葉でした。
N:ひとつの作品を作り始める時、その出発点になるものは何ですか?
I:ほとんどは、頭に浮かんだ閃きを「記述しないと!」という衝動ですね。
それは八ヶ岳の森の中だったり、都会で人と話している時だったり、日常のあらゆる瞬間にやってきます。
だから、その瞬間たまたま工房にいる時はラッキーですね。イメージをすぐに彫り込めるので。
N:即興的に作る一方で、「ここは外さない」という基準はありますか?
I:あります。
闇雲に彫った山でも、それっぽい形にはなると思うんです。
でも僕が「名もなき山々」を作る上では、その稜線や地形が、「自然か、それとも不自然か」ということをずっと意識しています。
N:実在する山を忠実に再現するという意味での「自然」ではないですよね。
I:そうですね。
僕が使っている木端や間伐材は、こちらの都合できれいに整えられた木材ではないので、節があったり、瘤やうねりがあったりします。
そこを無理にコントロールするのではなくて、「この年輪にはイカつい壁が合いそうだなー」みたいに、素材の木に自分のフリーハンドを乗せていく感じです。
手を加えすぎた途端に不自然になってしまうこともあるので、木の個性を活かしながら、自然な山の形へ落とし込む。引いて、引いてのものづくりはかなり意識しています。
N:木から山を作るというより、木が持っているものを見ながら形を探していく。
I:そうですね。木がもともと持っている表情を、なるべく邪魔せずに引き出す感覚です。
N:今のものづくりに最も大きな影響を与えているものは何でしょう?
I:もちろん山です!
……と言いたいところなんですが。笑
おそらく一番大きいのは、山や自然に寄り添う人たちとの出会いだと思います。
僕自身、山歩きやスノーボードが大好きなので、雪山やフィールドから受ける影響ももちろんあります。
でも、それ以上に刺激をもらっているのが、同じ時代でものづくりをしているクリエイターや作家、そして僕らの活動を見つけてくれた人たちです。
山や自然と純粋に向き合い、それぞれの場所で、それぞれの想いを持って活動している。そういう人たちの存在は、自分自身のモチベーションにも直結しています。
だから多分、僕のものづくりは、自分一人の頭の中だけで作っているわけではない。自然に寄り添う人たちのピュアな想いやエネルギーを、木の上に記述している感覚が強いかもしれません。
N:今の「記述する」という言葉、インタビューの中で何度か出てきました。なぜ「作る」ではなく、「記述する」なんでしょう?
I:気になりますよね。笑
僕にとって木を彫るという行為は、ゼロから何かを作り出すというより、「描く」感覚に近いんです。
立体的なデッサンであり、世界のレコーディング、記録ですね。
今、僕たちの目の前にある世界を、木という素材を使って、そのまま立体として克明に記録しておきたい。
その行為を最も正確に表す言葉が、僕にとっては「記述する」でした。
「作る」のではなく「記述する」。その言葉を聞いて、ikkaku mosaic.の山が実在する風景の縮小模型ではない理由が少し分かった気がしました。木の表情と、井出さんが山で見たもの、人から受け取ったもの、その時の感覚。それらが重なった痕跡として、一つの稜線が木の上に残されているのだと思います。
次回は、そうして生まれた山が、光や空間、そして見る人の記憶と出会うことでどのように変化していくのかを伺います。
Text: Koichi Tanaka / NMG